事業内容
岩村田商店街の活動・沿革

岩村田本町商店街は古き良き時代を色濃く残し、
地域の皆さんに愛され続ける商店街です。

「手づくり 手仕事 技(わざ)の街」

これが岩村田本町商店街のテーマ。テーマのとおり、商店街には丁寧に人の手をかけて作られた特長のある商品やサービスを提供するお店がたくさんあります。

岩村田商店街では、郊外型大型店舗の進出や地域住民の生活スタイルの変化に伴い、商店街としての役割を「地域住民のコミュニティの場」として位置づけ、商店街振興組合主導で様々な事業に取り組んでいます。
事業紹介
祇園祭
例年7月中旬の週末に開催される岩村田地区「若宮神社」、「祇園天王社」の例祭で、室町時代の1398年、愛知県津島神社より当時蔓延した伝染病を鎮めるために勧進したと伝わります。
夕刻には3基の大人御輿が揃いクライマックスを迎えますが、昔から荒々しく練り歩くのも岩村田祇園祭りの醍醐味で、祭り好きにはたまらない佐久を代表する夏祭りです。
えびす講
1年の無事を感謝し、五穀豊穣や商売繁盛を祈願します。
岩村田商店街ではこの日に合わせて、店舗での大安売りや、お客様への感謝として「おふるまい」をもてなすイベントなどが開催されます。

岩村田商店街の歩み
道路拡幅昭和30年頃より、重ね塗り舗装によるカマボコ型の未舗装道路から、国道141号線の道路拡幅の機運が高まり、昭和36年11月の本町区総会にて実施を決議。翌年より、市・県・国へ陳情開始。昭和39年7月 都市計画街路事業に決定。同年9月道路拡幅工事起工。
中央ビル商店街道路拡幅工事が進む中、昭和41年2月本町防災建築街区造成事業の指定が決定。同3月本町商店街協同組合設立。同4月防災建築街区造成事業工事起工。同10月「中央ビル商店街」設立。ハード事業の推進と管理を行う「本町商店街協同組合」とイベントを中心に事業を行う「中央ビル商店街」の組織とシンボルマーク完成。 昭和46年、道路拡幅と防災建築街区造成事業完成。アーケード建築事業完成。
繁栄と退潮日本の高度成長期からバブル崩壊まで、商業集積として繁栄を極める。しかし、時代の変化や、平成5年3月の佐久平インター開通 、平成9年10月の長野新幹線佐久平駅開業に伴う郊外型大型店やチェーン店の出店により商店街の対応が求められる。
若手後継者立つ平成7年若手経営者や2世の集まりの青年会を中心に商店街組織改革の機運高まる。2つの組織をひとつに統合し、翌平成8年5月、数々の苦難を乗り越え岩村田本町商店街振興組合を設立。地元在住の放送作家 加瀬 清志氏からイベント企画ご指導を仰ぐ。商店街のシンボルマークを岩村田の鼻顔稲荷神社にちなみ、招きぎつねの「いわんだ君」に変更。
特徴あるイベント平成8年11月から「日本一に挑戦シリーズ」始まる。第一回は、「日本一長~い草もちを作ろう大作戦!」、南北に長い商店街の特徴を生かし、全長200mの日本一長い草もちを地域の皆様(800人)と共に作りあげた。以降毎年開催。また、佐久平はケーキがおいしい街でも知られていることから、ケーキと景気をかけ、ケーキ時計シリーズイベントを企画。日経ビジネスの表紙を飾る。詳しくはイベント紹介ページ参照。 建築以来30年を経たアーケード・カラー歩道、また、地盤沈下した商店街を再びよみがえさせる戦略として、アーケード・カラー歩道再構築を決意。
新たなる旅立ち平成13年、数々の難関をクリアし、同年12月、アーケード・カラー舗装完成。
平成14年3月には、地域と商店街を結ぶコミュニティ施設 「中宿おいでなん処」開設 。

平成15年4月、地域密着型食料品店舗「本町おかず市場」オープン。
平成16年11月、商店街のコンセプトである」「手造り・手仕事・技の街」をテーマに新進気鋭の6店舗のチャレンジャーを迎え入れ、チャレンジシショップ『本町手仕事村』をオープン。

成21年1月、商店街が運営する塾としてはおそらく日本初の「岩村田寺子屋塾」オープン。
また、平成22年には、寺子屋塾隣に「子育てお助け村」を開設。買い物途中で親子で休んだり、短時間の託児も可能です。 地域ぐるみで子育てを見つめていきます。

平成23年には、古民家を改装した米粉うどん中心の地産地消のメニューを提供する「三月九日青春食堂」をオープン。近隣の高校生が学外活動に利用できる「高校生チャレンジショップ」を開設。

成23年3月に発生した東日本大震災の被災地で、佐久市の友好都市でもある岩手県大船渡市とのご縁で、持続的行える支援活動の場として、空き店舗に「岩村田三陸屋」をオープン。三陸地方の名産品販売を取り扱うほか、奥には喫茶スペースも設けお客様の休憩の場所を提供しています。